まずはじめに、東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復興と少しずつ笑顔が増えていくことを願っています。
宮城県で学生時代を過ごしていたため今でも多くの友人が東北地方にいることもあり、とにかく連絡をと思い携帯を触り続けるのですが・・・。
全くつながらず・・・。
つながらい電話をかけ、返信のこないメールを打ち続けていました。
生きていることを信じて・・・。
ようやくつながったのは震災から8日後の3月19日でした。
大変申し訳ないのですが、それまでの間、正直仕事をしていても心ここに非ずといった状態でした・・・本当にダメですね・・・。
それからは数人ずつ連絡が取れるようになり、今はでは返信もしてくれます。
生きています!・・・元気です。・・・みんな前を向いて頑張っています。・・・こっちは冷えているけどそっちは大丈夫?
などと、少しずつ近況を教えてくれるようになっています。
生きていてくれたことに涙を流していたのに、さらにこっちのことにまで気をつかってくれる友にまた涙です。
食べ物だけではなく、子供たちの間でもあったそうです。
避難した先での「いじめ」・・・理由は、放射能がうつるから・・・。
とあるラジオ番組でパーソナリティーが言っていました。
「子どもがわからないことを教えていくのは大人そして親としての責任ではないか。
曖昧な情報をそのまま確かのものとしてしまわないためにもしっかりと子どもたちに教えてほしい」
といった感じのコメントでした。
それを聞いて、大切なのは会話なのかなぁと。
教育の場での先生と子どもの会話。家など子どもと一緒にいるときの親子の会話など。
自分の子どもたちと家で話していて思うのは、親も聞き役ばかりになるのではなくて今日あったことを子どもに聞いてもらことも大切なのでは
ないかなぁということ。
もちろん、理解できない難しいことをいっても会話にならないので、面白かった出来事や楽しかったこと、ちょっと失敗してしまったことなど
子どもと一緒に話せそうなことでいいと思います。
子どもの日常を知りたいと思い話を聞こうとするように、子どもも親に興味を持てれば会話が増えていくのではないでしょうか。
そういった会話の中で、しっかりと知ってもらいたいことも話していけるのではないなぁと思います。
また、お互いの声を聞きあえることはとてもいいことだと思いませんか?
もちろん自分自身もできているわけではないので、子どもたちと会話を楽しめるようにやっていきたいです。
と長々と書かしていただきましたが、今回はこの辺で・・・。
大人のコミュニケーションを取りに今日の練習に行ってきます。
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